Lady Mari

ウェストハイランドホワイトテリア

ウェスティの毛皮

段々と涼しくなってきました。

あっという間にストーブを出す季節になりそうです。

 

ストーブというと、思い出すのが異常にマリが寒がりだったということです。

良く取り合いをしました。

ストーブを出して私が真正面に座ると、隣にぴったりとくっつくように座ります。

そして、私を少しずつ横に押し出していくのです。

この少しずつというところがみそなんでしょう。

ちょこっとずつ、にじり寄りながら確実に横にスライドさせます。

気付けば吹き出し口にマリが陣取っているという図になります。

体重に著しい差がありながらなぜ動かせるのか不思議です。

結構力持ちなんだと思います。

 

押し出された私は、マリと全く同じ方法で負けじと押し返していました。

マリもまた同じように押し返し、ストーブの時期は小競り合いです。

 

ストーブをつけたのに寒いなと思うと、必ずマリが吹き出し口にぴったりと身体を押し付けふさいでいるのです。

おかげで冷たい風しかきません。

 

隙間なく吹き出し口に張り付くので毛先が焦げたこともありました。

 ブラウンテリアになるか、かちかち山になるので引き離すのですが、何度引き離してもまたぴたりとくっつくのです。

 

まだついていないストーブの前に催促するように座ったりもしていました。

 

よほど寒いのだろうか?

毛皮を着ているのに?

首をかしげたくなるのです。

 

図鑑を見ると、ウェスティはダブルコートで、オーバーコートとアンダーコートの二重仕様になっており、表面は良く水をはじく粗い毛、内側は密度の高い柔らかい毛が生えているとあります。

 

でも防寒性は高くないのだろうか?

だから寒がりなの?

疑問に思います。

 

焦げるほど近づけるのならやはり温風も伝わらないほど厚い毛に覆われているということなのでしょう。

しかし、風は遮れるけれど内部の毛自体は特別暖かくないということなのでしょうか。

 

ストーブにしばらく張り付いた後、今度は板の間に移動して体を冷やし、またストーブにはりつくという、傍から見たら何とも効率の悪いことを繰り返していました。

温まりにくく冷めやすい毛皮?

 

夜は必ず誰かのベッドで寝ていました。毛布の中に潜り込み、夜中に暑くなると布団の上に上がり、また入るということを繰り返していました。

布団もやはり寝ている間に真ん中を陣取られ、朝寒くて目を覚ますのです。

朝方いつも布団をマリから奪い返していました。

 

猫は寒がりといいますが、犬がこんなに寒がりだとはこれも犬と暮らしてみて初めて知りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お留守番苦手

ある時、用事がありマリを預けようとしたことがありました。ペットホテルの看板を見つけ連れて行くと、ウェスティは預かれないと断られました。

理由は捨てられたと勘違いして寂しかるからだそう。

たしかに、家からちょっと庭に出て戻ってきただけでも、耳を倒し、しっぽをふりふり大歓迎ですり寄って来ます。

子犬の頃は、トイレにも一緒についてくる有様でした。

そんなわけで、季節の良い時はなるべく車で一緒に連れて行きました。

しかし日本では犬を連れて入れる場所は限られている為、車で待たせなければなりません。家族が車から降りると自分も必死で追いかけようとしますが、待っていてね、と声をかけドアを閉めるのですが、かわいそうになります。

家族が見えなくなるまで目で追っていてよほど一人になるのが苦手なようです。

 

そんなある日、車でいつものように待たせようとした時、家族が車から降りても動じません。にこやかな表情をしているので、慣れたのかなと思い安心して車から離れました。用事がすんで、車に戻ると、いつもならすぐに気付いて喜んで立ち上がり窓からしっぽを振るのに寝そべっているようです。

必ず私たちが戻ってくることが分かったから車の中でも待てるようになったんだと思っていました。

ところが車に乗り込むと、お菓子の箱が座席下に落ちており、個包装の紙だけが散乱しています。

お菓子はワッフルだったのですが、器用に箱を開けて中身だけ食べたようです。

紙に付いたクリームなども綺麗に舐めた様子です。

マリのお腹はまるで獲物を丸呑みした蛇のようにポッコリと膨らんでいます。

マリはしたり顔で私達を出迎え、うれしそうにしています。

過去のことは叱ってはいけないとしつけの本にあった為、その場はただあきれ顔で驚く私達でしたが、一度に大量に甘いものを食べてしまったので大丈夫かと心配になりました。

犬に害のあるチョコレートなどは幸い入っていなかったのですが、翌日に大量に排泄し、お腹の調子も悪いようで数日大人しくしていました。

 

この時は、大事に至らず済んだのですが、犬が人間のように箱をあけたりするなんて想像もしていませんでした。犬は思っていた以上に色々出来るのだと知りました。

これ以降、食べ物や危ない物は犬がいたずらしないところに置くなど管理に気を付けるようにしました。

 

あのにんまりした顔からすると、きっと甘い香りからお菓子があることを嗅ぎ付け、もし車に居残ることがあったらと、密かに犯行の計画を練っていたのでしょう。

私達が車から降りた時、しめしめチャンスと思ったのかなと思うと笑えます。

 

あのしたり顔はいつまでも印象深い思い出として記憶に残っています。

 

 

 

 

 

 

 

子犬の遊び方と甘噛み

犬と暮らし始めて一番驚いたことは、子犬の遊び方の激しさです。

ぬいぐるみを与えてみると、すごい剣幕でぬいぐるみに体当たり、噛みつき、振り回します。まるでワニのデスロールのように容赦なく徹底的に攻撃します。

一緒におもちゃで遊ぶときに、おもちゃをデスロールのようにひねっても粘り強く執拗に噛みついて離さず正直言って、かなり怖かったです。

自分も襲われるかもなんて恐怖を感じてしまうほどです。

 

ぬいぐるみで遊ぶ様があまりにも怖かったので、かわりに硬い素材のキーホルダーを与えると、それもさかんに噛んだり振り回したりしていました。

かちかちに硬いはずのキーホルダーが見る見るうちに傷だらけになっていくのを見てさらに怖くなりました。

 

かなりダメージを与えるまでおもちゃを離さないところは、狩りをする犬種だからでしょうか?

本で調べると、穴に住む小動物を狩っていたそうですが、穴は犬しか入れない大きさで人間もあれこれ指示出来ず、手助けも出来ず、一人で戦わないといけない為、テリア気質と呼ばれる独特の性質が尊ばれたそうです。狩られる側も必死でしょうから死闘の覚悟がある勇気のある独立独歩の性格でないと難しいのでしょう。

 

たしかに、強烈な個性をもつ負けん気の強い自我の強い犬でした。

人の指示通りにするより、自分の意志で決めるようなところが子犬のころからありました。

 

ですから、犬と暮らすというよりも人が増えたような感覚でした。

人と犬の感情に差異はないと感じるようになりました。

人の言葉も理解しているようで、自分のことが話題になると内容によって表情を変えるのでした。

 

こちらの表情も読み取ってくれて、私がマリを怖がっていることも気付いたようです。

安心させるように時々おもちゃを離すと、わたしのそばに近寄ってきて無邪気な笑顔を向けるのでした。そんなことを繰り返しているうちに、だんだんと心が通い合い、マリが牙を持っていても私を襲ってくることはないのだと信頼できるようになりました。

しかし、この経験から、犬を怖がる人の感情も理解できる気がします。

 

マリが人を良く観察し表情を読んで行動していることに本当に驚きました。

歯が生え変わる時期になると、手の指を甘噛みしてくるようになりましたが、こちらの顔色をうかがいながら申し訳なさそうに噛んでくるのです。

ちょっとでも手を動かしたり、痛いと声を上げると、すぐに噛む力を緩め、まるで謝っているようにぺろぺろと舐めるのです。

飼い主を噛むことはいけないことだとちゃんとわきまえているようで、遠慮がちにかなり気を使いながら噛んでいました。

指がちょうど噛むのにほど良かったのか、おもちゃよりも指を甘噛みすることを好みました。甘えていたのかもしれません。

 

しばらく甘噛みさせていましたが、しつけの本を読んだら、そのまま噛むことはくせになるからやめさせるようにとあり、慌てて、一度、駄目!と言ったら、すぐにピタリとやめてくれました。急に方針を変えるのは混乱するかもと思いましたが、やはり、悪いことと思っていたようで、禁止したことは正しい判断と認めてくれたようです。

 

このように、納得したことは律儀に守る素直な賢さを持っていました。

そのかわり、納得しないことは無視されましたが、マリがいつも正しかったと思い出します。

 

 

 

 

 

 

老化現象

最初に気付いたのは視力の低下です。散歩中によく溝に落ちるようになりました。おっちょこちょいと笑っていたのですが、何度も落ちるので不審に思っていたら、目が白く濁りだしました。

病院に連れて行くと白内障だと言われ、老化現象だと教えられました。

ウェスティは白い毛に全身を覆われ、黒い目と鼻がとてもキュートな姿をしています。

耳から見える皮膚が子犬の頃は明るいピンク色でしたが、年と共に黒っぽいピンクに変わり、毛も少し薄くはなっていたものの、人間のように皺が見える状態ではない為、老犬を意識するような外見にはなりません。

毛の色が元々白いというのもあります。

表情は、子犬の頃のように豊で喜怒哀楽があります。

 

相変わらず元気な様子で、まさか、1年後には亡くなるなんて思っても見ませんでした。

 

亡くなる数か月前から、徐々に表情が険しくなり、反応がうすくなりました。

また、目も完全に見えなくなりました。動くのが怖いのか、目が見えなくなってからは、おそるおそる部屋の中を歩いていました。

ぶつかっても危なくないように自由に歩けるスペースを仕切り確保しました。

耳もきこえなくなったようですが、最期まで嗅覚だけはきいていたようです。

 

ベッドに乗せて一緒にお昼寝していた時に、落ちてしまったり、目を離したすきに、コードやほつれた糸などに絡まったりとひやひやする場面もありました。

 

最期の頃は、トイレの場所も分からないので、ペットシーツを敷き詰めて好きなところでさせるようにしました。汚物にまみれてしまうので、何度か洗ってあげましたが、体臭は消えませんでした。やせてしまい、匂いを分解できないからでしょう。

 

目が見えなくなってから、病院に連れて行った日のことを今でも覚えています。

診察が終わり、マリの顔を見ると、誇らしげに喜んだ表情をしていました。明らかに私のいる方向を見てアイコンタクトを取ろうとしているのが分かりました。

 

以前から、病院が終わると、車の中で、よく頑張ったね、えらかったね、おりこうだったよ、と声をかけていました。

子犬の頃から、注射にもなかず、老後も辛抱強く診察をうけていました。

声をかけると、私の顔を見つめてとてもうれしそうな表情をしてみせるのですが、視力を完全に失った後も同じようなそぶりをしてみせるのです。

その同じ日、帰りの途中で、助手席から私の運転席まで、移動してきて膝の上で丸くなった時のことを忘れられません。

目が見えない上に動いている車内の中です。マリが移動してきた経路は、車の中の位置空間を頭の中で把握していないと出来ないことです。

 

とても感動しました。

そして愛されていると実感したのです。

危険をかえりみず、私の膝に移動してくるなんて。

マリは揺れる場所を怖がっていました。

いつも車内ではおとなしく伏せているか、誰かの膝の上でじっとしていました。

窓を覗くときも誰かに抱っこしてもらいながらでした。

ですから、一人で不安定なところを伝いながら私の膝に乗ってきたときはとても驚きました。

 

 

老犬になった変化として大きかったことは、耳が聞こえなくなったことです。

テリアは少しの物音にも盛んに吠える番犬としても優秀ですが、吠え声が大きいのでいつも注意していました。しかし、耳が聞こえなくなったので、家の前を通る人や車に吠えることはなくなり、静かになったのです。

ところが、宅配の人が家に入ってきたときです。マリがすごい勢いで久しぶりに吠え出しました。おそらく嗅覚で分かったのでしょう。

 

この時ばかりは、犬の嗅覚はこんなに老犬になってもすごいのかと驚きました。そして、久しぶりに聞くマリの吠え声に、まだ元気で良かったと思ってしまいました。

 

老犬の世話は弱っていく姿を見えていてとてもつらいものでした。

痴呆も少々あったようです。寝ていることが多いですが、落ち着かなく徘徊し、痛みがあったと思うのですが、物言わないその様子が悲しかったです。

 

死のまじかに急速に老いていきました。そのスピードについていけない気持ちでした。

一年でこんなに変わるなんて。

犬は人間の7倍の速さで生きていると聞きますが、それ以上の速さに感じました。

 

もっとああすれば良かった、こうしてあげれば良かったということしか思い浮かびません。

はじめて犬と暮らし、しつけの仕方など本当に間違った方法で、マリには申し訳なく思うことばかりでした。

それでも、それを恨むことなく最後まで一緒にいてくれました。

死の瞬間もそばにいさせてくれました。

 

犬はあっという間に年を取ってしまいます。

人間の平均寿命に比べたらたったの1/8~1/7ほどです。

 

まだまだずっと元気にいられると思っていました。

最初の老いの変化に気付いてあげられなかったことが悔やまれます。

犬は辛抱強く我慢強い生き物です。

飼い主に訴えることなく飼い主のペースに合わせてくれます。

 

マリが亡くなってから様々な場面が思い出され、そのたびに辛抱強く一緒に過ごしてくれたことを気付かされました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マリとの出会い

犬を飼うことになりペットショップに行ったのですが、ウェスティと決めていたわけではなく、出会いは偶然でした。

 

マリは、柴犬と同じケージの中にいて、ちょっとひがんだような表情をしてこちらに無関心に見えました。

こちらは愛想のない犬だなというのが第一印象でした。

 

他犬種に決まりそうになったところで、急に家族が難色を示し、ではこの犬種はどうかと言われたのがウェスティでした。

ホワイトテリアだと紹介されました。でも、背中の中央にうっすらと茶色に見える毛があります。柴犬と一緒のケージに入れられていたこともあって、柴犬の血が入っているのではと思ってしまいました。

 

見た目、白い柴犬のようでしたが、ペットショップの方が、成犬になったらああなると指さした壁のポスターは長毛の丸い顔と四角いボディの姿で子犬とは別犬種のような犬でした。

 

えー?と家族一同驚き、半信半疑でしたが、マリに決定したのです。

マリは、ケージから出されるとややこわばっていましたが、車の中では指を舐めながら私の顔を見つめ微笑んでくれました。

 

最初、不愛想な犬、と思ったのはすぐに消え、なついてくれたと嬉しかったのは覚えています。

マリはきっと、どうせ自分なんか選んでくれないといじけていたのでは?とその後彼女の性格を知るようになってから思いました。

 

マリはきっとペットショップから出たかったのだと思います。

どのような思いでケージにいたのだろうと思うと切なくなります。

 

あの日、一緒に車で連れ帰った日のことは昨日のことのように時々思い出します。

 

 

 

 

最期の日

マリが亡くなった日から書き始めようと思います。

私にとって一生忘れられない日となりました。

 

マリが亡くなるときは決して一人で誰にも知られないまま逝ってほしくないと強く思っていました。

どうか死に一緒に立ち会わせて送らせてほしいと願っていました。

その思いが通じたのでしょう。

 

明け方、私の名前を呼ぶ声がしました。今まで聞いたことのない可愛らしい声でした。

私の名前を何度も「〇〇ちゃん」と呼びかける声が頭からか背中の方からかはっきりしませんでしたが聞こえて、とにかく、寝ている私はその声に目覚めました。

急いで彼女のいる部屋へ駆けつけると、荒い息をして白目のようになって苦しそうな状態の彼女がいました。

 

数時間前には穏やかに静かに眠っていたので仮眠しにいっていたのでした。

彼女の急変に驚き、急いで家族を呼び、囲むように座りました。

集まってから、数分後、最後の息を精一杯して息を引き取りました。

もう楽になってもいいよ、頑張ったね、立派だったよ、と話しかけたので安心したのでしょう。

 

私の願いを叶えるため、苦しい中、私を呼んでくれた彼女に大きな愛を感じました。

これまでも私に精一杯の愛を与えてくれていましたが、このとき、言葉を話さない動物とも意思疎通できること、言葉というもの以外に繋がれることを改めて感じました。

 

犬はあらゆる感覚を使って人間と繋がれる生き物だと思っています。

犬の持つ叡智を感じました。

 

私の感情や思いはこの日だけでなく彼女にいつも伝わっていたのでしょう。

私を愛し許してくれていた彼女にこのブログをささげます。

 

 

 

 

 

 

 

 

はじめに

マリが亡くなってからもう10年がたちますが、一日も彼女のことを忘れたことはありません。

毎日在りし日の彼女の姿を思い出します。

初めて飼った犬だったため、至らぬことが多く後悔も多いためだと思います。

これから犬と暮らす方にも少しでも役立てばと思い、愛犬との思い出を綴ります。